激録・イタリア留学@ミラノ工科大学そしてブルガリア

ミラノ工科大学とイタリア留学の実情とブルガリア

コロナによる変化と感じたこと<後編>

 ミラノは全面的にロックダウンになったしコロナの状況が酷いということだろうか、何人か留学生は帰国したようであった。自分は飛行機の費用がもったいないというか、そもそも留学費用がカツカツのギリギリなので、一時帰国するという余裕はないのである。この時期には暖かくなればコロナは収まるだろうといった風説も流れていた。なので夏になれば収まると判断し、また現地にいたほうが事態の変化に対応し易いと考え留まることにした。この時は特にコロナについての情報が錯そうし何が正しく、間違っているのか判断することが非常に難しかった。

 オンライン授業の感想であるが、これは早送りの出来ないYoutubeを見ているようなもので、最初の内は集中力を保つのに非常に苦労した。講義だけでなくグループワークもオンラインになった。そこで一番大切なコミュニケーションが、より難しくなったと感じた。対面であったとしても異なる文化圏の人が集まっており意思疎通は十分難しいのだが、それがオンラインになり、表情や仕草といった情報を得られず、読み取れる情報が音声のみになったことが原因と考える。また技術的な問題としてビデオ通話では常に1人しか話せないことも、それに拍車をかけた。だが不思議なことに現在は、ビデオ通話で会議などを行うことに違和感はない。オンライン授業の悪い点について述べたが、もちろん良い点もある。それは通学時間がゼロであることだ。例えば、朝一の授業では、始まる5分前に起きれば良いし、ベッドの中から受けても問題ない。この点についてはオンライン授業は魅力的である。またチャットのおかげで質問などをし易くなったり、録画がアーカイブされて聴きなおしたり出来ることも良い点と思う。

 期末試験もオンラインになり、試験前には自分の机の周りや下側などをカメラで見せることが必要となった。中にはベッドの下を見せるよう言われた人もおり滑稽であった。

 こういった状況で自分も含め皆、人との交流を欲すようになった。そこでメッセージでしかやりとりしなかった友人らとビデオ通話することが自然と多くなった。ブルガリアで知り合った人と数年ぶりに話をしたり、むしろ疎遠になりがちであった人々と交流が深まることもあり楽しかった。また、その結果、日本では分からないがミラノで感じた限りではビデオ通話をすることが普通になり、抵抗感がなくなったので、それは良いことであると思う。逆に面と向き合ってコミュニケーションすることが貴重で贅沢品の様になってしまったのは残念である。

 ともあれロックダウンは夏ころに終わり、次の学期からは対面授業が試みられた。

 9月に対面授業が始まった。そこで数か月振りに皆、友人らと会い、再開を喜んだりしていた。コロナの前ではさほど盛り上がらなかったであろう会話や、ただの挨拶であっても楽しそうにしていたし自分も楽しんでいた。対面で会話できることに、各々が歓喜し、教室は活気に満ちあふれていた。

 残念ながらそういった夢のような日々も数週間ほどで終わりロックダウン期間が始まってしまった。この時は2回目とあって自分やほかの人、社会も含め慣れているようであった。例えばロックダウンの区分やルールも初めに比べ洗練されていた。すでに自分がロックダウンにおののくこともなく普通のこととして受け入れていた。この様な大きな変化にいつしか慣れてしまうことに驚いた。

 ところで4月にオンライン授業になった直後は人に会うことが無くなり最初は寂しかった。しかし時間が経つにつれて寂しいと同時に思考洗練され創造性も高まる気もした。人に会う事がなく自分や自分の思考と誰にも邪魔されることなく向き合うこどが出来るからであると思う。誰かに会うという事はその人に自分の思考へ介入されることである。それが肯定的だろうと否定的だろうと、それが自分の思考への雑音になっていたと考えられる。

 まとめとして、コロナといった最悪の事態でも良い面を見て日々過ごすしか乗り越える方法はないと考える。

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ロックダウン中の駅と地下鉄の様子。人がめっきり減った