激録・イタリア留学@ミラノ工科大学そしてブルガリア

ミラノ工科大学とイタリア留学の実情とブルガリア

コロナによる変化と感じたこと<中編>

 そういった状況にも慣れ年が明けて新しい学期が始まるころの3月に,または日本食が食べた過ぎてしゃぶしゃぶを食べる夢を見て、それが夢と分かり絶望し朝を迎えていた頃に、イタリアにもコロナが到来し瞬く間に広まっていった.

 コロナの拡大が顕著になる頃には新しい学期が始まるまで1カ月もなかったが即座にすべての授業をオンラインで行うことが決定した。評価方法など仔細は決まっていないがオンライン授業の決定、開始が非常に早かった。授業開始時期の遅延が2週間ほどしかなかったと思う。このように日本と異なり細部まで詰めずに行動する部分が、平時では問題を生むことが多いが緊急事態での対応には向いていると思った。日本であれば拙速と批判されたり、批判を恐れここまで早く変化出来なかっただろうと思う。

 また外出制限も即座に開始された。瞬く間に買い物など必要な理由がある場合以外の外出が出来なくなった。空いている店としては、スーパー、薬局、郵便局ほどしかなかったと思う。また中に入れる人の数(密度)が制限されており、朝早くに行かなければ列に並ばなければならなかった。待ち時間は1時間にも及ぶことがよくあった。その時間に神田伯山の講談をよく聞いていた。スーパーでは食品以外の日用品や文房具も売っているが買えるものも食料品だけになったりした。

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間隔を空けて並ぶ

 ここまで対策を講じたがコロナの勢いが衰えることは無く、イタリアの北部の一部の地域では人が死にすぎて火葬が間に合わないなど良いニュースは入ってこなかった。

 自分の生活としては4人でシェアハウスしていたがコロナの影響でルームメイトが地元に帰ってしまい一人で暮らすことになったのでお得感があった。この頃になると、アジア系への人種差別どころでは無くロックダウンに慣れることで皆精いっぱいであったと思う。逆にコロナがイタリアで早く広まったことでフランス系のメディアによるイタリアへの差別的言動が問題となっていた。イタリアが今度は差別される側となっていた。しかし、ここで差別が良くないことと十分に広まらなかったのか、コロナが収まったころにはまた、自分への差別的態度を度々目にするようになり、非常に失望したものである。

 初めてのロックダウンのであったので、どう時間を過ごして良いか分からず非常に退屈であった。あまりに毎日に変化が無いので、曜日感覚を喪失し、時の流れが人生史上最速で進んでいった。日々の楽しみといえば、窓から遠くに見える山々とそこにかかる雲や、沈んでいく夕日を見る事だけであった。たまに発生する雷雨に垣間見える稲妻を見る事でさえ気分の高揚するイベントとなる有様である。自然の美しさを再発見したのは良かったと言えるだろう。

 このころに日本のニュースを見るとコロナの広まりが比較的小さくロックダウンなども行われていなく、ほぼ普段どおりの生活をしているようで非常にうらやましいと感じていた。

 ところでコロナの広まる前はヨーロッパではマスクを着ける事が普通ではなかった。2016-2017年にブルガリアに留学したときに、自分が風邪をひいてマスクを着けたとき、イタリアやドイツの友人に非常に驚かれたのを覚えている。なので当時はマスクを着けるのに抵抗があったが現在は全くそれを感じない。

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窓からの眺め