激録・イタリア留学@ミラノ工科大学そしてブルガリア

ミラノ工科大学とイタリア留学の実情とブルガリア

コロナによる変化と感じたこと<前編>

 コロナが発生して2年ほどが経った。折角イタリアでコロナを経験したので忘れないうちに自分が感じたことについて纏めようと思う.

 コロナの発生が報道されたのは2019年の12月8日のころか、朝ごはんにインドネシア産の袋めん+キャベツを食べ日本を思い出していたが毎日はやめとけと友達に言われ、控えるようになった頃か、運よく日本の米で作った梅干しおにぎりを頂き感動していた頃と思う.コロナについて日本は大丈夫であるかなと思う程度で他人事として構え、また、季節性のインフルエンザ程度ですぐ収まるだろうと考えていた。この時のコロナウイルスの世間的な呼び方は武漢肺炎であったお思う。

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         Indomieの袋めん

 ミラノから遠い国の出来事であるからといって、自分には何も影響が無かったわけではない。むしろ大きな影響があった。それは、アジア系に対する人種差別感情に関わる問題である.コロナの発生元が中国と分かった頃から、欧米では人種差別的問題に関わる事件などが報道されていた。しかし自分には関係のない話だと考えていた.というのもコロナが武漢肺炎と呼ばれていたこともあって、差別の標的となっていたのは中国人が多かったからである。しかし、この関係ないという認識は間違いであった。自分の感覚として中国人と日本人との区別を無視し一括りにして考えることは少ないが多くの、特に国際感覚の欠如した人にとって、中国人というのは日本人だろうが何だろうが中国人的な顔を持った人々という一括りを示す語である.日本人にとって欧米と言うときにアメリカ大陸にいる人とヨーロッパにいる人を一括りにしていることを想像すると分かりやすい。このことを思い知らされるように自分のことを見て中国人とイタリア語で言われたり、罵られたり、また地下鉄で距離を取らているような気がしたとういことが多々あった.もっとも地下鉄で普段からどれくらいの距離があったかなど意識していなかったので比較のしようが無かったし距離を取られた方が感染しにくく安全で快適ではあったのだが.

 また、こういった外的な要因だけでなく人種差別の問題がニュースやSNSで頻繁に取り上げられたことで自分も含め一部の人は敏感になりすぎていたという内的な要因も、ほかの人の態度を差別的なものと、より捉えがちにしていたのかもしれない.何がともあれ,コロナの発生直後はこういった人種差別の問題が一番の影響であった.

 ところで同時期に日本でも中国人に対する人種差別的な問題があるというニュースを目にした.欧米や日本とでは文化的違いが大きいが対象が違うだけで、緊急事態に際し、得たいの知れないものへの恐怖を和らげる為、又は、そういったことが発生した受け入れやすい理由を見つける為、人種差別的行動をとるという様式は残念ながら一致していて面白い.

 コロナによって諸々の人種差別が確立されたのでなく人々の間にそういった感情はもともと存在したが,普段は、そこまであからさまに態度に表していなかったのだろう。しかしコロナというもっともらしい理由が出来た途端に,その名目のもと、大ぴらに始めることが出来ると無意識に思った人が多かったから、この様な事態になったのではと考える.

 Reference: *1